警護業界で働きたい人が必ず考えるべき“リアル”
近年、LinkedIn をはじめとするビジネス向けSNS上では、警護関連の求人情報が、比較的オープンな形で流通するようになってきている。とりわけ「CP/EP募集」と称される海外案件は、日本人警護実務者にとって関心を引きやすいテーマであり、一定の注目を集めやすい傾向がある。
本稿で取り上げる募集要項も、そうした文脈の中で LinkedIn 上に掲載され、警護業界の実務者間で話題となった事例である。提示されている条件は一見すると魅力的であり、海外案件、UHNWI対応、生活費負担といったキーワードは、警護業界に身を置く者であれば少なからず関心を抱く要素であろう。
しかし、この募集に対する実務者の反応は必ずしも肯定的なものばかりではなかった。「CP案件としては報酬水準が低すぎる」「UHNWI対応を謳うには、警護コストに対する思想が見えない」「生活費負担という条件の裏で、過度な拘束が想定される」といった指摘が複数見られた点は注目に値する。

重要なのは、これらの反応が単なる待遇への不満や主観的意見にとどまるものではなく、海外警護案件を評価する際の本質的な判断軸を内包しているという点である。すなわち、報酬水準、拘束条件、警護体制、そして「UHNWI」という言葉の使われ方そのものが、案件の質と警護対象者のセキュリティ・マインドセットを映し出している。
本稿では、この募集事例を一つのケーススタディとして位置づけ、日本人警護実務者が海外案件を検討する際に、どのような視点で条件を読み解くべきかを整理する。その過程で、HNWI/UHNWIという用語の定義と実務上の乖離、UHNWI向け警護に本来求められる設計思想、さらにUAEにおける給与水準および生活費の実態について、具体的な数値を交えながら検討する。
本稿の目的は、特定の求人や個人を評価・批判することではない。むしろ、こうした募集要項を分析対象として読み解くこと自体を、警護業界におけるキャリア形成と専門性向上のための「訓練」と捉え、海外警護案件を判断するための実務的視座を提示することにある。
日本では「本格的な警護職」が成立しにくい現実
日本国内において「本格的な警護職」、すなわち Threat-Based Protection Team の構築や、リスク評価に基づく Close Protection / Executive Protection 体制が成立しにくい背景には、制度的・市場的な構造が存在する。
公的要人の警護は警察の専管事項であり、民間分野における警護は、イベント随行や役員付随業務の延長として扱われることが大半である。継続的・専門的な警護チームを組成し、運用する文化や需要は、現実的にはほとんど存在していない。
その結果、本格的な警護経験を積みたいと考える実務者ほど、自然と海外案件に目を向けることになる。しかし多くの場合、日本国内の給与感覚を基準に応募条項を評価してしまい、海外警護案件特有の拘束条件やリスク構造を十分に理解しないまま応募してしまうケースが少なくない。
用語の理解:HNWIとUHNWI
海外富裕層案件を評価するにあたり、まず理解すべきは HNWI/UHNWI という用語の本来の意味である。

HNWI(High Net Worth Individual)とは、一般に100万ドル以上(約1.4億円超)の投資可能資産を有する個人を指す。金融業界で広く用いられる定義であり、一定の資産形成を終えた層とされる。
UHNWI(Ultra High Net Worth Individual)は、3,000万ドル以上(約42億円)というさらに上位の資産層を指す。資産管理、生活スタイル、リスク環境はいずれも高度かつ複雑であり、警護要件も質的に異なる。
ただし、「UHNWI」という言葉が募集要項に記載されているからといって、その案件が自動的に高度な警護思想に基づいて設計されているとは限らない。むしろ、報酬水準や体制設計を見れば、その言葉が実態を伴っているかどうかは明確に読み取れる。
HNWIとUHNWIにおける警護思想の違い
| 項目 | HNWI | UHNWI |
|---|---|---|
| 警護の目的 | 安心感・抑止 | 生存性・継続性 |
| 基本姿勢 | 反応型 | 予防・先制型 |
| 可視性 | 低〜中 | 状況に応じて高低を切替 |
| 警護の重心 | 個人 | 個人+家族+資産 |
Close Protection(CP)の設計差
HNWI
- 単独CPO、または必要時のみ帯同
- 非武装・スーツ型警護が中心
- イベント・移動時限定の配置
- ルート選定・簡易的な事前調査
UHNWI
- チーム制(Advance / Driver / PSD)
- 24/7ローテーション体制
- Advance Work(事前偵察)が必須
- 医療対応(TCCC / EMTレベル)
- ドライバーと警護の明確な分業
- 国・都市ごとに警護レベルを可変
警護が「職」ではなく「システム」になる点が決定的な違いである。
レジデンシャル/施設警備の違い
HNWI
- 高級住宅+機械警備
- 受付・巡回中心
- CCTV・アクセス制御は限定的
UHNWI
- 複数拠点(自宅・別荘・海外)
- Armed / Unarmed Guard の併用
- セーフルーム、退避動線
- 内部使用人・スタッフの身辺調査
- ドローン・車両侵入対策
インテリジェンスと情報管理
HNWI
- SNS・行動管理への助言レベル
- 簡易的なリスク情報収集
UHNWI
- 常時インテリジェンスモニタリング
- 渡航国の治安・政治・抗議活動分析
- 家族・秘書・運転手を含むOPSEC
- 情報漏洩は重大インシデント
情報こそが最大の脆弱性となる。
組織・コスト構造
HNWI
- 外注中心(警護会社・警備会社)
- スポット契約が主
- 年間数百万円規模
UHNWI
- インハウス(ファミリーオフィス内)
- 警護責任者(Head of Security)を配置
- 年間数千万円〜数億円
警護は「コスト」ではなく保険として扱われる。
日本でUHNWIと見なされやすい類型
① 上場企業創業者・オーナー系
- 株式評価額は極めて高い
- ただし資産の多くが自社株で流動性は低い
- 国内中心の生活でリスク露出が限定的な場合が多い
例として名前が挙がりやすい人物:
孫正義、柳井正、三木谷浩史 など
→ 資産規模はUHNWI級
→ 警護思想は必ずしもUHNWI基準ではない
② 旧財閥・大企業創業家
- 資産は分散・非公開
- 表に出ない「見えないUHNWI」
特徴:
- 個人名がほぼ出ない
- 生活・行動は極めて地味
- 秘書+運転手+施設警備で代替されがち
③ 国際的に可視性を持つ投資家・実業家
- 資産額がUHNWI未満でも
- 脅威レベルがUHNWI相当になるケース
例:前澤友作 など
④ 外国籍UHNWIの日本滞在
実務上、日本で最も「本物のUHNWI警護」が必要になる層。
- 中東・欧州・中国系資産家
- 日本に別荘・拠点を保有
- 医療・教育・長期滞在目的
海外では当然のようにCPO・Advanceを伴うが、日本では「過剰警備」と見なされがちである。
なぜ日本では「誰がUHNWIか」が曖昧なのか
理由は明確です。
- 資産=危険度ではない
- 誘拐・政治的暴力・組織犯罪を前提にしない
- 警護=政治家・芸能人のものという固定観念
その結果、
「UHNWI=金持ち」
「警護=目立つ行為」
という誤った理解が残り続けている。
実務上の本質的な答え
警護・コーポレートセキュリティの文脈において重要なのは、「誰か」ではなく、「どれだけリスクに晒されているか」である。
海外展開、政治・社会的対立、メディア露出、家族構成、情報漏洩耐性。
これらを満たした瞬間、資産がHNWIレベルであっても、警護要件はUHNWI級になる。
問題の募集に見られる本質的な違和感
本来のUHNWI向けCPであれば、
- 報酬は地域平均の2〜4倍以上
- 危険度・秘匿性・拘束度に応じたプレミアムが上乗せ
しかし問題の募集では、
「CP」「UHNWI」を掲げながら、報酬水準は中級警備〜下級EP相当である。
これは単なるコスト削減ではなく、警護を“保険や見栄の延長”としてしか見ていない構造を示唆している。
「月15日勤務でUAE平均月収相当」という数字のトリック
CP業務における「月15日勤務」は、実際には、
- オンコール
- 待機
- 移動拘束
を含み、他案件との並行は事実上不可能である。また、UAE平均月収との比較対象は一般労働者であり、高リスク・高秘匿・高責任のCP職とは比較軸が根本的に異なる。
生活費相手持ち=メリットか、拘束か
一見すると、家賃・食費・移動費が不要で手取りが多く見える。しかし実務上は、
- 居住地・生活圏が完全に警護対象側に依存
- 勤務外でも「目が届く場所」に置かれる
- 契約終了時の不安定さ
といったリスクがある。
特にUHNWI案件では、「雇用」よりも「囲い込み」に近い構造になりやすい。

UAE(ドバイ)の給与・生活費相場
- 平均月収:約15,800 AED(約65万円)
- 生活費(単身・最低限):5,300〜9,800 AED
- 中心部1ベッド賃貸:約6,500 AED
- 個人所得税なし
これらを踏まえると、「月15日稼働で平均月収」という表現は、実態を慎重に読み解く必要がある。
求人を鵜呑みにしてはならない理由
- 報酬と拘束のバランス
- 業務内容の曖昧さ
- 専門性と体制の不一致
これらを見抜けなければ、海外案件は容易に“消耗戦”になる。
学びとしての「求人の読み込み」
求人を読み込むことは、応募判断以上に、
- 業界タームの理解
- 国際的な報酬感覚
- 条件に潜むバイアス
を学ぶ機会となる。
最後に
日本国内で「本格的な警護職」が成立しにくい現状を踏まえれば、海外に活路を求めるという発想自体は極めて自然であり、実際に多くの実務者が同様の選択肢を検討している。しかし、海外案件を評価するための視座を持たず、条件面の表層だけを見て応募してしまえば、結果として過度な拘束や不均衡な業務負荷を受け入れることになりかねない。
求人は単なる「機会」ではなく、業界構造や警護思想を読み解くための「教材」である。これをどう読み解くかが、今後グローバルな警護キャリアを築く上での最初の分岐点となる。
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