寒冷地警護における装備と服装選択の重要性

-能登視察時に見られた「ダウンベスト問題」から考える日本の警護文化-

2025年12月7日、高市早苗総理が石川県能登の被災地を訪問した際のニュース映像を拝見しました。その中で、警護官の一名がスーツのジャケットの下にダウンのベストを着用している様子が映り込み、強い違和感を覚えました。当日の能登の気温は5℃前後と寒さの厳しい日ではありましたが、他の警護官は通常のスーツのみで対応しており、ダウンベストを着用していたのはその一名だけでした。その姿は周囲から浮いて目立つだけでなく、警護という職務の性質上、実務的にも懸念すべき点があります。

まず警護業務においては、腰に携帯する拳銃をはじめ、各種装備への迅速なアクセスが求められます。ダウンベストのような嵩張る衣類は、明らかにこのアクセスを阻害し、反応速度を低下させる要因となります。特に日本の要人警護では、阿部元首相の銃撃事件以降、「一秒でも早く反応すること」が強く意識されなければならないはずです。その観点から考えると、装備周辺を覆ってしまうリスクが少しでもある防寒具をスーツ内部に着用する選択は、警護官として適切とは言えません。

さらに、ダウン素材特有の「シャカシャカ」という衣擦れ音も問題です。静粛性を求められる警護では、不要な音を発生させる装備や衣類は避けるのが基本であり、国際的にも一般的な判断基準となっています。例えばアメリカのシークレットサービスのエージェントが、スーツの下にダウンベストを着用している例はほとんど見られません。これは美観の問題ではなく、装備アクセスの妨げや音の発生といった実務的な理由によるものです。

寒さ対策自体が不適切であるというわけではありません。むしろ、寒冷地で防寒を怠ることは身体の緊張を招き、反応の遅れにつながるリスクがあります。私自身、国連本部が所在するニューヨークで勤務していた際には、マイナス15度を下回る寒さが珍しくなく、外での任務において防寒対策は必須でした。しかし、そこでの対策は「スーツのジャケット下に嵩張るベストなどを着込む」ことではなく、ジャケットの上から(ステンカラーやバルマカーン)コートを着用する、あるいはワイシャツの内側にユニクロの超極暖ヒートテックのような薄手の高機能インナーを着るといった方法が一般的でした。この方法であれば、装備へのアクセスを妨げることなく、必要な保温も確保できます。国連の要人警護チームでも、アメリカのシークレットサービスにおいても、同様のアプローチが広く用いられています。

今回のケースで特に気になったのは、ダウンベストを着ていた警護官が、群衆整理等の周辺配置ではなく、要人の非常に近い位置にいたという点です。近接警護は、最も素早い対応が求められるポジションであり、その警護官が服装によって反応を阻害される状態にあることは、大きなリスクと言わざるを得ません。もし周辺配置であれば、それほど気になることもなかったでしょうが、今回のようにニュース映像に映り込むほどの近距離にいたことを考えると、配置判断を含め何らかの問題があったのではないかと推察します。

また、この警護官が地元警察の所属であり、専門的な要人警護の訓練や経験が十分でなかった可能性も否定できません。日本では、警視庁警備部警護課(SP)と地方警察の警護員との間に、訓練・経験の差が見られる場面があり、今回もその一例であった可能性があります。

警護とは、細部への配慮と判断の積み重ねで成立する職務です。服装の選択一つであっても、装備アクセス、動作性、静粛性、そして視覚的な信頼性にまで影響します。たとえ寒さが厳しい環境であっても、スーツ内部に嵩張る衣類を着込むという選択は、プロとして適切とは言えず、むしろ外側のコートやインナーによる調整が基本であるべきです。

日本の要人警護は阿部元首相銃撃事件以降、見直しと改善が強く求められています。今回の一件は、一見些細な服装の問題ではありますが、警護文化全体の成熟度や装備運用の理解がどこまで浸透しているかを示す象徴的な事例と言えるのではないでしょうか。


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