問題は起きていない”は安全を意味しない ― 遊説警護に見るPPO配置の盲点

SNSで見かけた野田元総理の遊説時の警護映像について、実務的な視点から見ると、結果的に問題は起きていないものの、警護の基本原則から考えるといくつか気になる点が確認できました。これは失敗事案ではありませんが、「偶然問題が起きなかった状態」と評価するのが妥当です。

まず最も気になったのは、PPO(対象者の直近で身体を管理する警護担当)の立ち位置と動きです。PPOの最優先任務は周囲を見ることではありません。第一は常に対象者そのものです。身体の位置把握、歩く速度の管理、転倒防止、不意の接触や引き込みの阻止、緊急時の押し込みや引き離しといった「対象者の身体を直接コントロールすること」が中核です。周囲の不審者監視は外側の警護員の役割になります。そのため、PPOが対象に背を向けている時間が長い状態は、本来の役割から外れた配置と言えます。

次に重要なのが車両に乗り込む際のドア周辺の動きです。ここは事故が起きやすいポイントでもあります。警護担当は単にドアを開ける人ではなく、「対象者と危険の間に入る人」という位置付けになります。車のドアは防護にもなりますが、状況によっては挟み込み事故の原因にもなります。群衆の圧力や外部からの接触があると、ドアは予想以上に急に閉まることがあります。

問題は、警護担当がドアの少し外側に立っている場合です。この位置だとドアの動きは制御できても、対象者の身体そのものを守る位置関係になりません。本来は、万一ドアが急に動いた場合でも、警護担当自身が間に入ることで対象者を直接守れる位置が望ましいとされています。これは戦術というより、安全管理の基本的な身体配置の考え方です。

さらに、防弾ブリーフケースを片手で持ったままドア操作をしていた点も気になる部分です。防弾ケースは遮蔽のための装備であり、対象者の身体を支えたり押し込んだりする動作とは役割が異なります。ケースを持ちながら別の作業を同時に行うと、本来もっとも重要な「対象者の身体をすぐにコントロールできる状態」が弱くなります。つまり、一人で複数の役割を同時にこなそうとすると、どれも中途半端になりやすいということです。

では、なぜこうした配置が起きるのでしょうか。これは個人の能力の問題というより、運用の構造に原因があります。選挙期間中は警護対象が増え、専従の警護要員だけでは回らず、訓練を受けた警察官が応援として入ることが多くなります。この場合、知識や資格はあっても、日常的にその役割を続けているわけではないため、役割の優先順位が体に染み付いていないことがあります。その結果、「対象の身体管理」よりも「装備を持つこと」や「周囲を見ること」が仕事の中心になってしまうことがあります。

もう一つ見逃せないのは、「脅威が低いと思われている場面」ほど手順が緩みやすいという点です。警護の事故は、緊張感が高い場面よりも、「今回は大丈夫だろう」という空気の中で起きることが多いのが実情です。手順が簡略化され、小さなズレが積み重なります。それ自体は一つ一つは小さなことでも、条件が重なると一気に大きな事案につながります。

「大きな事件の後に学んだはずなのに、なぜ同じような不安を感じる場面が出てくるのか」という疑問ももっともです。実際には見直しや訓練強化は行われます。ただ問題は、それを長期間維持することの難しさにあります。人事異動、経験の引き継ぎ不足、事件が起きないことによる緊張感の低下などが重なり、時間とともに基本が少しずつ形だけになっていく傾向があります。

今回の映像は失敗ではありません。しかし、警護の評価基準は「何も起きなかった」ではなく、「何か起きても耐えられたか」です。その視点で見ると、役割の曖昧さ、立ち位置の問題、装備と動作のバランスといった小さなズレが同時に存在しており、決して理想的な状態とは言えませんでした。

現場経験者が感じる「何かおかしい」という感覚は軽視できません。大きな事故の前には、必ずこうした小さな違和感が先に現れます。警護の質を守るうえで重要なのは、事件後の強化よりも、平時に基本動作と役割分担をどれだけ正確に維持できるかにあります。

今回の事例は、日本の警護が抱える課題、対象者の身体管理より装備や形式が優先されやすい傾向を象徴している場面の一つと言えるでしょう。


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