-人工関節・医療機器と冬季衣類の現場課題を踏まえた実務的考察–
日本の警備実務において、パッドダウン(身体に接触して行う所持品の確認)は、警備員に与えられている法的権限の制限から、極めて慎重な運用が求められる領域であるといえます。警備業法は警備員に対し、警察官のような強制力を付与しておらず、他人の権利や自由を侵害する行為を禁じているため、任意性が担保されていない身体検査は実施できません。特に身体接触を伴う検査は、ハラスメントや暴行行為として問題化するリスクが高く、国内の企業施設においてパッドダウンが標準手順として採用されることはほとんどありません。この点は、警備員に法的強制力が付与されている空港保安検査員や、契約上の入場条件に身体検査への同意が組み込まれているアリーナ・スタジアムなどと比較すると、極めて対照的です。
一方、米国や英国のハイセキュリティ施設では、パッドダウンが一般的な手順の一部として広く運用されています。背景には、セキュリティとプライバシーのバランスに関する社会的コンセンサスの大きな違いがあります。米国では、入場時に身体検査への同意を明示する契約構造が一般的に受け入れられており、「入場条件としてのパッドダウン」という枠組みが確立しています。また、人的警備員による身体検査が文化的に“セキュリティ上必要なプロセス”として理解されやすく、危険度評価が少しでも上がれば、身体接触を伴う検査にエスカレーションすることも容易です。
これに対して日本では、法制度の問題だけでなく、日本社会が長く維持してきたホモジニアスで相互信頼を前提とした文化的構造が影響しています。日本では一般に「性善説」が強く信じられ、犯罪や脅威行為を前提に人を疑う文化が希薄であったため、厳格な身体検索の必要性はこれまで顕在化しにくい状況でした。
しかし現在、社会環境は大きく変化しています。国際化に伴い外国人労働者や移民は増加し、行動規範や価値観が均一ではない社会へと移行しつつあります。全員が同じ常識を共有しているという前提はすでに成り立っておらず、海外と同等のセキュリティリスクが顕在化しているにもかかわらず、日本の民間警備制度は旧来のホモジニアス文化に依存したままです。その結果、海外とのセキュリティギャップは拡大し続けており、現行の運用は国際基準に照らしても著しく遅れていると評価せざるを得ません。
米国や国連などの国際機関における金属探知プロセスは体系化されており、WTMD(ウォークスルーメタルディテクター)で反応が続く場合は、HHMD(ハンドヘルドメタルディテクター)による局所確認を行い、それでも解決しなければパッドダウンを実施するという段階的アプローチが確立しています。私が勤務していた国連本部でもボディスキャナーこそありませんでしたが、WTMDで反応が解消されない場合にはHHMD、そして最終的にはフルパッドダウンという流れが標準プロトコルでした。パッドダウンは例外ではなく確認手段の一つとして制度化され、訓練を受けた警備隊員が淡々と実施します。このため、利用者の理解も得やすく、手続きとして定着しています。
対して日本では、警備員が身体に触れる行為自体が高い法的・社会的リスクを伴うため、触診を伴うパッドダウンを回避し、WTMD、HHMD、目視確認といった“非接触的検査”が中心となります。冬季には厚手のコートや複数レイヤーの着用が一般的となり、袖口、腰回り、脇下など、金属類の隠匿リスクが高い部位の確認が極めて困難になります。袖をめくることが事実上不可能な状況では、反応点を特定できないケースも多く、パッドダウンを実施できない日本の現場は、確認不足を受け入れるか、あるいは必要以上に来訪者を引き留め、プライバシー侵害や苦情につながる対応を取らざるを得ません。これは人的警備の限界を示す典型的な構造的リスクといえます。
さらに、医療機器を有する来訪者への対応は、金属探知機の使用判断における極めて重要な論点です。人工関節など体内に金属が埋め込まれているケースでは、WTMDの通過は医療的に問題ないとされ、多くの整形外科インプラントは磁場の影響を受けません。しかし、ペースメーカーやICD(植え込み型除細動器)は事情が異なり、WTMDの磁界による影響が指摘されているため、メーカーや医療機関は通常WTMDの通過を推奨しません。また、HHMDも機種によっては磁場を発生させるため、ペースメーカー付近に近づけることは望ましくありません。つまり、人工関節で反応する来訪者はWTMDを通過させることが可能ですが、ペースメーカー利用者はWTMD・HHMDの双方を避け、本人申告と医療カードの確認、そして丁寧な手動による目視確認が中心となります。
問題は、ペースメーカー利用者への対応においても、日本の現場ではパッドダウンが使えないという構造的制約が存在する点です。身体接触が禁止されている環境では、厚手の衣類越しに金属の有無を確認することは実質的に不可能であり、HHMDを使用できない場合には、防犯上の確実性を下げるか、あるいは来訪者に服を大きく開けてもらうなど、心理的負担の大きい行為を依頼せざるを得ません。この制約はハイリスク施設の検査精度を低下させ、内部脅威対策の弱体化にも直結します。海外のようにパッドダウンが許容されれば容易に解決し得る問題が、日本では法的・文化的理由により解消されないまま固定化されています。

国連本部では、ペースメーカー装着者は証明書確認後、金属探知機を使用せず、担当者が全身をパッドダウンで確認する方法が徹底されていました。日本との違いは極めて大きく、制度の差が実務そのものに直結していることが分かります。
さらに日本特有の問題として、警備員募集段階から「コミュニケーション能力不要」「黙々とできる仕事」といったキャッチコピーが散見される点があります。実際、現場にはコミュニケーション力が十分でない人材も多く、プロフェッショナルとして必要な説明力や明確な指示出しが欠如しているケースは珍しくありません。パッドダウンのように利用者との距離が近く、言語的説明や同意形成が必須となる行為は、このような人員構成では「言った言わない」のトラブルやハラスメント、差別的対応と受け取られるリスクが高まります。このコミュニケーション能力の問題そのものが、日本でパッドダウンが制度化されない一因となっている可能性も否定できません。
対照的に、海外ではセキュリティ職が比較的「プロアクティブで明確に指示が出せる人材」によって占められています。施設の安全を守る役割としての権限意識が強く、体力よりも明確な説明や指示を自信をもって行える点が重視されます。このためパッドダウン実施時のコミュニケーションが安定し、誤解やトラブルが起こりにくい環境が整っています。結果として身体検索が手順として定着しやすく、文化的・制度的にも抵抗が少ないのです。
民間施設が空港のようなボディスキャナーを導入することは現実的ではない以上、「パッドダウンを法的・文化的に実施できない」という日本独自の制約が最大の構造的リスクであると言えます。法制度だけでなく、国民感情を含む社会的合意の欠如が、セキュリティ運用の幅を狭め、安全性を低下させています。
最終的に、日本の警備は「非接触検査を前提とした運用」を構築するほかありません。そのためには、衣類や持ち物を極力減らしてもらうための動線設計、温度管理された待合スペースの整備、検査手順を明文化した案内の徹底、WTMDの設置位置や感度設定の最適化といったオペレーションおよび設備面での補完策が必要になります。また、ペースメーカー利用者への対応は通常の金属反応とは別体系として手順化し、WTMD・HHMDの使用可否、本人確認方法、必要な場合の迂回ルートなどを明確に定めておく必要があります。
海外のようにパッドダウンを柔軟に導入できない日本では、身体接触を伴わない検査の限界を直視し、その弱点を補完する運用体制の整備こそが、現場のセキュリティ品質を維持するうえで不可欠です。日本独自の法制度と文化的制約を理解したうえで、現実的なセキュリティモデルを再構築することが、今後の企業警備の成熟に向けた重要課題となります。
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