セキュリティの世界において、古くから議論され続けているテーマのひとつが「Security vs Convenience」である。セキュリティを強化すればするほど利便性は損なわれ、利便性を優先すればするほどセキュリティは脆弱になるという、このトレードオフの関係は、情報セキュリティの分野のみならず、物理セキュリティや警護の現場においても避けて通ることはできない。特にコーポレートの現場では、業務効率や顧客対応との調和を図る必要があり、単純に「ルールだから」と言ってセキュリティを優先させることが、必ずしも最適解とは限らない。
最適なバランスは、単なる感覚や現場の裁量によって決められるものではない。それはあくまで、組織のリスクアセスメントに基づいて導き出されるべきものである。事業内容、所在地の治安、業務特性、顧客属性といった多面的な要素を分析し、許容できるリスクレベルを定義することが出発点となる。たとえば、同じビジネスモデルであっても、犯罪率の高い国や地域においてはセキュリティ寄りの設計が求められる一方で、日本のように治安が比較的安定している環境下では、より利便性を重視した運用が現実的な選択となり得る。つまり、「絶対的な正解」は存在せず、状況に応じたバランスを探ることこそがプロフェッショナルの責務である。

コーポレートの世界では、セキュリティだけが目的ではない。ビジネスを円滑に進める上では、部署間の協調や顧客との信頼関係が欠かせず、そこに不必要な摩擦を生じさせることは組織全体の生産性を損なう。したがって、現場で求められるのは、単に規則を遵守することではなく、リスクを正しく理解した上で、状況に即した柔軟な対応を取る判断力である。ここで必要とされるのは、状況の本質を見極めた上での判断であり、ルールを機械的に適用するのではなく、その場の目的、関係性、影響を総合的に捉えた対応である。
ところが現実には、決まり事をそのまま繰り返すことが「正しいセキュリティ」であると誤解している警備員も少なくない。自らの行動が業務全体にどのような影響を及ぼしているかを理解せず、形式的な対応に終始する姿勢は、むしろ組織の調和を崩す要因となる。確かに、一介の警備員にそこまで高度な判断を求めるのは酷かもしれない。しかし、少なくとも自らの立場を正しく認識し、状況の本質を見極めようとする姿勢を持つことは必要である。セキュリティは組織の一部であり、独立した存在ではない。したがって、セキュリティの論理だけで現場を動かそうとすれば、必然的に摩擦が生まれる。プロフェッショナルとして求められるのは、「ルールの遵守」と「組織の目的達成」を両立させる知恵である。

こうした考え方は、警護の現場でも例外ではない。VIPを守るという極めてセキュリティ性の高い任務においても、単に「ルールだから」と一方的に制止するだけでは不十分である。VIPが求める動線や要望には必ず意図があり、それを無視して「ダメだ」「できない」と繰り返すだけでは、いかに優秀な警護官であっても信頼を失う。警護官にとって最も恐れるべきは、警備上のミスではなく、VIPからの「交換してくれ」という一言で職を失うことである。つまり、警護もまた「ルールを押し付ける職務」ではなく、リスクを見極め、代替策を提示し、安心と信頼を両立させる専門職なのである。
さらに重要なのは、下請けの警備会社のマネジメントにおいて、このバランスをどのように伝えるかである。日本では「下請け=指示されたことだけをこなす存在」と見なされることが多いが、外資系企業のコーポレート文化では、下請けであっても一つのビジネスパートナーとして扱われる傾向が強い。そのため、単に「どうにかやっておいて」と突き放すのではなく、彼らの立場に寄り添いながら、セキュリティの本質を理解させることがマネジメントの役割となる。しかし、寄り添い方を誤ると、警備員が「顧客のために柔軟に動くこと=自分の判断でルールを曲げてもよい」と誤解するリスクもある。これがいわゆる「勘違いした警備員」を生む原因である。重要なのは、「ルールを形式的に守ること」でも「ルールを軽視して顧客に迎合すること」でもなく、リスクを正しく理解した上で、セキュリティを損なわずに配慮を見せることである。
この「配慮」こそが、AIにはできない人間ならではの付加価値であり、今後AIが現場業務を担う時代においても、人間の警備員が求められる理由である。結局のところ、真のセキュリティプロフェッショナルとは、状況に応じた最適な判断を下し、リスクと利便性の両立を図りつつ、組織の調和を守る存在である。ただの「ルールの番人」ではなく、状況の本質を見極め、周囲を観察し、配慮を形にできる人材こそが、これからのコーポレートセキュリティにおいて価値を持つ。AIに置き換えられない仕事とは、まさにこうした“人間的判断”に基づくセキュリティの実践なのである。
偉そうに書いておりますが、実は筆者自身も、アメリカから帰国したばかりのころ、企業での経験がない状況で初めて企業に勤めた際、このバランスが極端にセキュリティ寄りに傾いていました。そして、現場の部下や他部署に迷惑をかけたり、反感を買ったりすることもあり、下請けの警備会社に対しても厳しい注文をつけ、関係性を壊してしまった痛い経験がある。そうした過去の経験を踏まえ、現在では、当時の仲間が私の勤務風景を見たら驚くほど変化していると語るほど、柔軟な判断と調和を意識するようになった。
残念ながら、日本の警備業界では、半数以上の人が「選択肢がなかった」「楽そうだから」といった理由で勤務しており、高い志を持つ人と同じ視野を持たせることは容易ではない。しかし、これから警備職でキャリアを築こうとする若い人には、ぜひ一度「Security vs Convenience」を意識してほしい。企業内の警備職であれば、柔軟な考えを持つことで、成功への階段が近づくはずである。
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