サンフランシスコ市長警護官襲撃事件から考える「エスカレーション管理」という警護技術

米国カリフォルニア州サンフランシスコで、Daniel Lurie市長の警護を担当していた警察官が路上で男性と衝突し、格闘の末に地面へ投げ倒されるという事件が発生した。事件では警護官が頭部を負傷し、男性2名が逮捕されている。

公開された映像を見ると、警護官が男性をかなり強い力で突き飛ばした直後、男性が激しく反発し格闘状態に発展している様子が確認できる。結果として警護官は地面に叩きつけられ負傷した。

このような事件が起きると、必ずと言っていいほど議論されるのが「警護官の護身術」や「制圧術」である。

しかし、警護という職業の本質を考えると、この議論は問題の一部しか見ていない。

もちろん警護官は日頃から訓練を積み、とっさの状況で相手を制圧できる能力を備えているべきである。身体能力、格闘技術、制圧術、武器の扱いなどはすべて重要なスキルだ。

しかし現実には、格闘能力という点では常に「上には上がいる」。体格差、経験、薬物の影響、精神状態など、現場では訓練では完全にコントロールできない要素が数多く存在する。

つまり警護において最も重要なのは、格闘に勝つことではなく、格闘が起きない状況を作ることである。

警護の本質は「戦うこと」ではない。
本質はエスカレーションを管理することにある。

セキュリティや法執行の分野では、武力行使には段階があると考えられている。一般的に Use of Force Continuum と呼ばれるモデルである。

多くの場合、次のような段階に整理される。

Presence(存在による抑止)
Verbal Command(口頭指示)
Soft Control(軽度の身体コントロール)
Hard Control(強制力の行使)
Deadly Force(致死性の武力)

優れた警護官ほど、上の段階に進む前に状況を解決する。逆に言えば、力の段階が上がるほど、状況は急速に不安定になる。

ただしここで勘違いしてはいけないのは、必ずこの順番を一つずつ上げていかなければならないわけではないという点である。

Use of Force Continuum は段階を示すモデルではあるが、階段のように順番通りに対応を進めることを義務付けるものではない。現実の現場では、状況の危険度や緊急性に応じて途中の段階から対応を開始することもあれば、いくつかの段階を飛ばすこともある。

例えば、刃物を持った人物が突然接近してきた場合、警護官がまず口頭注意から始めるというような運用は現実的ではない。状況によっては、より高いレベルの対応を即座に取る必要がある。

つまりこのモデルの本質は「力を順番に上げていくこと」ではなく、状況に応じて適切なレベルの力を選択する判断能力にある。

言い換えれば、Use of Force Continuum は「力の階段」ではなく、「力の選択肢」なのである。

今回の事件では、警護官が男性を強く突き飛ばしたことが、結果として相手の怒りを引き起こし、状況を急速にエスカレートさせた可能性がある。もちろん現場判断は外部から簡単に評価できるものではないが、必要以上の力が状況を悪化させることは警備や警護の現場では決して珍しい話ではない。

そして、この事件にはもう一つ重要な疑問が残る。

それは、警護対象者である市長がその状況で車両の外に出ていたことである。

警護対象者が車外に出るということは、警護の難易度が一気に上がることを意味する。特に路上のようなオープン環境では、

不特定多数の接近
突発的行動
群衆心理
予測不能な個人

といったリスクが急増する。

警護官が相手を突き飛ばさなければならないほど接近されている状況で、警護対象者が車外に立っているのは、警護の基本原則から見ても理想的な配置とは言い難い。

おそらく今回のケースでは、市長という警護対象者の脅威レベルがそれほど高く評価されていなかったのだろう。米国では市長クラスの警護は、大統領警護ほど厳格ではないことが多い。

しかし警護の現場では、「この程度なら問題ないだろう」という感覚こそが最大のリスクになる。

結果として、警護対象者のすぐ近くで格闘が発生するという、警護としては決して望ましくない状況が生まれてしまった。

実は私は現在、警備員の判断力や状況認識能力を高めるため、定期的にテーブルトップエクササイズを実施している。これは実際の現場を想定したシナリオを提示し、警備員自身に判断を考えさせる訓練である。

先日行った訓練では、次のようなシナリオを提示した。

警備員が勤務する施設の前の道路で、約20名のグループが立ち止まり話をしている。歩道はほぼ塞がれ、通行人が通りにくい状況になっている。

この状況に対して、受講していた警備員の一人は、そのグループに近づき「何をしているのか」「邪魔だからどこかへ移動してほしい」といったニュアンスで注意をしようとした。

しかしここで重要なのは、その場所が公道であるという点である。

警備員は施設の警備責任を持っているが、公道を管理する権限は持っていない。

そこで私はその警備員に対し、

「あなたは何の権限があってそれを言うのか」
「ここは行政が管理する公道ではないのか」

と問いかけ、意図的に状況をエスカレーションさせていった。

すると訓練を受けていた警備員二名は、急速に判断を誤り始め、次第にパニックに近い状態になってしまった。

これは珍しいことではない。むしろ多くの警備員が、

介入すべき状況と、観察すべき状況の違い

を十分に整理しないまま現場に立っている。

警備という仕事は、日常の大半が平穏である。特に日本ではそうである。しかしだからこそ、突発的な状況に対する判断力は、日頃から訓練で考え続けていなければならない。

もし私がその警備員の立場であれば、そのグループは施設に対して直接的な危害を加えているわけではないため、まずは監視カメラなどで状況を観察する。

そしてもし詳細が気になるのであれば、直接アプローチするのではなく、巡回の際に自然な形で近くを通り過ぎ、視線だけで状況を確認する。

つまり、情報収集は行うが、不要な接触は避けるという判断である。

警備や警護の仕事において、本当に重要なのは「」ではない。

状況を読み、不要な衝突を避け、エスカレーションを管理する能力である。

今回のサンフランシスコの事件は、一見すると「警護官が投げ飛ばされた」という格闘の話に見える。しかし本質はそこではない。

問題の核心は、その格闘が起きる状況を作ってしまったことにある。

警備も警護も、最も優れたプロフェッショナルは、そもそも事件を起こさない。

それこそが、この仕事の最も高度な技術なのである。


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