なぜ指導者はスマホのカメラを塞ぐのか ― ネタニヤフ首相の事例から見る国家レベルOPSECの現実

最近、イスラエルのネタニヤフ首相の携帯電話のカメラ部分が覆われているように見える写真がSNS上で話題になっています。この件をきっかけに「なぜそこまでするのか」という疑問を持たれた方も多いと思います。警護の専門分野の視点から申し上げると、これは奇抜な行動ではなく、ハイリスク主体における情報防護の発想として十分に理解できるものです。

(写真引用元; Financial Express )

現代のスマートフォンは通信機器というよりも、カメラ、マイク、位置情報、各種通信機能を備えた常時接続型センサー端末です。利便性の裏側で、侵害された場合には強力な情報収集装置へと変化します。国家指導者クラスは常に高度なサイバー攻撃の対象になり得る存在であり、「端末が侵害される可能性」を前提に行動することは過剰ではなく、リスク評価に基づいた合理的判断です。

その脅威構造を整理すると、概念的には次のようになります。

機能リスク対策レベル
カメラ盗撮テープで物理遮断
マイク盗聴機内モード/Faradayポーチ/専用会議室
通信位置追跡・データ送信電源OFFでも不十分な場合あり
ベースバンドOSより下層一般人は対策困難

カメラにテープやステッカーのようなもので物理的遮断を行う理由は単純で、ソフトウェア的な防御は突破される可能性があるが、物理遮断は突破できないからです。スパイウェアやゼロクリック攻撃が成立すれば、ユーザーの操作なしにカメラやマイクへアクセスされる可能性があります。しかも撮影中の表示が出ない手法も理論上・実例上存在します。この状況下では「設定でオフにしている」「許可を与えていない」といった論理は、警護の世界では防御として不十分です。

ここで重要なのは、「設定」より「物理遮断」が重視されている点です。ソフトウェア的な防御は突破される可能性がありますが、物理的にレンズを塞ぐ行為はハックできません。原始的に見えても、“侵害不能な最終防衛線”という意味では極めて合理的です。

また、通信経路の遮断という意味でRFIDバッグ(ファラデーバッグ)も同じ思想の延長線上にあります。これはスマートフォンを電磁的に外界から隔離し、遠隔接続、位置追跡、データ送信を物理的に不可能にします。機内モードと異なり、設定ミスやマルウェアの影響を受けません。これはサイバー対策というより、電磁環境管理による物理的リスク低減に近い概念です。

では、なぜこうした対応は政治家クラスで目にすることがあるのか。その理由は明確です。政治家は典型的なHVI(High Value Individual)であり、情報価値が極めて高い存在だからです。狙われる情報は、非公開会談内容、外交・安全保障の議論、企業との裏交渉、スキャンダル材料、政策決定前の情報など、国家レベルの影響を持つものばかりです。

さらに厄介なのは、盗撮は音声盗聴より実行が容易なケースがあるという点です。人は「盗聴」は意識しますが、机の上に置かれたスマートフォンのレンズの存在は忘れがちです。カメラが乗っ取られた場合、会議室内の資料、ホワイトボード、出席者の顔、PC画面への映り込みなどが取得可能になります。これは人的警備や入退室管理では防ぎきれない領域であり、デジタルセンサー由来の情報漏えいリスクです。

ただし、実務上の現実も補足しておく必要があります。私はこれまで複数の国連事務総長の警護環境に関わる現場を見てきましたが、事務総長クラスの方々が日常的に端末のカメラをテープで塞いでいる姿を見かけたことはありません。つまり理論上は有効な対策でも、すべてのVIP環境で常態化しているわけではない、という現実があります。

さらに警護の実務文化として重要なのは、こうした知識を持つことと、それをVIP本人に求めることは別問題だという点です。警護担当者はリスク構造を理解しているべきですが、端末の運用や電子的防御レベルの詳細に踏み込む領域は、通常は警護の一次的責任範囲を超えます。実際にその種の助言を体系的に行うのは、軍事アドバイザーや情報機関、国家レベルのセキュリティブリーフィング担当者であることが多い印象です。

ネタニヤフ首相の件は、「過敏な行動」というより、国家レベルの脅威環境下で形成されるOPSEC文化の一端と見る方が適切です。ローテクに見えるテープやRFIDバッグは、技術的に高度というより「物理法則に依存した確実性」を重視した手段です。これはパラノイアではなく、高リスク主体における合理的リスク管理の一形態であり、現代警護においてデジタル環境を理解する上で押さえておくべき知識の一部だと言えます。


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