-現代の救急医学と実務から見直すアップデート-
ターニケット(止血帯)に関する記事をあげたことがありますが、今回はそのアップデートとなります。というのも、現在関わる仕事(データセンター)でセキュリティのバックグラウンドがない同僚が、先日私の勧めで First Aid を受講したのですが、その First Aid のコースでインストラクターがターニケットを紹介し、職場の First Aid キットの中にターニケットを加えるべきだと指導したというのです。そして、それを真に受けたその同僚は、それを他の者にもそうすべきと提案してしまいました。
前回の記事では、ターニケットはラストリゾート(最後の選択)と書きましたが、こちらに関しては今回、その同僚に説明をした際に誤解を生むリスクがあると認識したため訂正させていただきます。
結論から言うと、現代の医学では致死的出血に対して止血帯は「last resort」ではなく、「早期に使うべき一次手段」へと位置付けが変わっています。誤解を招きたくないので少し補足しますと、私がこれまで従事してきたようなセキュリティ実務の経験がある者、あるいは警備・警護といったインダストリーでは “last resort” という言葉が慣習的に残っているだけで、実態としては first-line tool(一次手段)として扱われています。
つまり、
・大出血 → 止血帯を迷わず使うべき
・そうでない出血 → last resort が適応になる段階ではない

という理解です。
まず、適切な判断ができる警備や警護のプロにおいては「携行しておく」が国際標準です。これは今さら説明するまでもないと思います。以前の記事でもターニケットの効果は認めております。
TCCC(Tactical Combat Casualty Care)、TECC(Tactical Emergency Casualty Care)、そして Stop the Bleed を含む現代の外傷救護ガイドラインで強調されているのは、致死的な外傷性大量出血は「数分以内」に致命的なショックへ移行し、生存率が急激に低下するという事実です。
この種の出血に対しては、救急車の到着を待つ余裕はなく、その場に居合わせた者が直ちに止血する以外に生存の道は存在しません。
極めてシンプルに言えば、
装備がなければ救命の可能性がゼロになるケースが“現実に存在する”。
その意味で、最も早く現場に居合わせる立場である警備員・警護員は典型的な “First Responder” であり、止血帯の有無が生存率に直結する少ない職種の1つです。
世界的コンセンサス:一般市民にも止血帯使用を推奨
現代の救急医学では、止血帯は「高度な医療処置」ではなく、“数分間の延命を確保するための最も効果的でシンプルな緊急手段” と位置づけられています。
そのため、国際的なガイドラインは共通して以下のアルゴリズムを示しています。
大量出血
→ 直接圧迫しても止まらない
→ 即座に止血帯
これは一般市民にも推奨される。なぜなら、致死的出血は「救急隊が到着する前に死亡する」ためである。日本の救急到着時間(平均 8〜9 分以上)では、間に合わない事例が少なくありません。
米国国防総省や国土安全保障省(DHS)のデータでは、適切に装着された市民使用の止血帯は、医療従事者による使用と比較して生存率に統計的な差がない。
また、TCCC・ACS(外科学会)・NAEMT(救急医学会)は共通して次の点を強調しています。
・致死的出血(Massive Hemorrhage)は圧迫より止血帯を優先する
・正しく使用された止血帯による壊死・切断リスクは極めて低い
・最大の死因は「使用が遅れた」こと
TCCCは極めて明確にこう記しています。
“If you think you should use a tourniquet, you should use it.”
(使うべきか迷うレベルなら、それは使うべき状況である)
つまり、現代の外傷救護では “止血帯の積極使用” が標準であり、躊躇が最大のリスクである。
過去の常識では、止血帯は「最後の手段」とされてきました。
しかし現代のデータと医療的知見は、これを完全に否定しています。
止血帯は生命維持のための第一選択肢であり、
特にファーストレスポンダーは携行していなければ救命のチャンスを失うこともあります。
警備・警護は、まさに「最初に現場にいる側」であり、その意味で止血帯は優先度の高い救命装備であると言えます。
★ 使用すべき典型例★
・交通事故で手足が深く切断・裂傷し、血が噴き出し続ける場合
・工場などで四肢の圧挫・切断
・刺創や銃創で圧迫しても全く止まらない出血
・災害時の重篤な外傷
・四肢(腕・脚)以外は使用不可です。(首・体幹・股関節の付け根・肩は止血帯では止められません)
【正しい使い方(最低限のポイント)】
まず強い直接圧迫を試し、それで止まらなければ止血帯を使用します。
負傷部位より心臓に近い側(上腕・大腿の根本)に巻きます。
“痛がっても” しっかり締めます。止血帯は半端に締めるのが最悪です。痛い=効いていると考えて差し支えありません(意識がある場合)。
締めた時刻を書きます。
決して解かないことが重要です。民間人が勝手に緩めたり外したりすると再出血して死亡するリスクがあります。
止血帯の難しさは “知識” ではなく、「このくらい強く締めて本当にいいのか?」という心理的ハードルです。
今回 First Aid を受け、ターニケットを First Aid キットに加えるべきだと提案した同僚に、どのように使うか説明してもらったところ、ターニケットを使用する際の判断基準があいまいであり、しかも軽く締めても効果があるという誤った理解をしていました。
【素人が使うべきではないケース】
以下の場合は圧迫止血だけで十分です。
・出血が少量
・包帯を巻けば止まる
・そもそも四肢以外の出血
・何となく不安だから/念のため
などの理由です。
止血帯には神経・血管・組織を損傷するリスクがあるため、“不必要に”締めることが一番危険です。
実際の国際基準の扱いは以下のとおりです。
● Stop the Bleed(米国)
市民に 2 時間弱の講習で止血帯使用を推奨。
● TCCC / TECC(軍・救急医療)
大量出血には即止血帯。
圧迫して止まらない場合は“誰でも”止血帯が正解。
市民用(C-A-T, SOFT-T)が整備され、一般使用を前提。
● EU の First Aid 指針
救急隊到着が遅れる場合は市民による使用を容認。
世界的には「素人が使って良い」が当たり前の流れになっています。
止血帯は “危険” なのではなく、“判断できない人が適当に使うことが危険”という点は、世界的に救急・軍・警察の現場で一致している見解です。

【“適当に使う”が最も危険】
止血帯のリスクは道具そのものではなく、不適切使用による二次被害にあります。
典型的な誤使用:
・軽い出血なのに巻く
・軽く巻いて実は止まっていない
・違う場所に巻く
・時間を記録しない
・締めた後に途中で緩める(=最悪の再出血)
これらはすべて “判断できない人が使った時だけ起こる” 問題です。
日本では救急講習が圧迫一辺倒で、致死的出血の識別や止血帯判断を教えないため、
・適切な状況で使えない(=遅れて死ぬ)
・不適切な状況で使ってしまう(=不要な損傷)
という“どちらも起きる”のが問題です。
今回同僚が受けた First Aid は民間団体が教えているものでしたが、受講者が使い方を十分理解していなかったものの、一応指導はしていました。一方、私が日本に帰国後、地元の消防で受けた普通救命と上級救命ではターニケットには一切触れられておりませんでした。おそらく消防は、私と似た考えなのでしょう。ターニケットは便利な道具ですが、判断を誤れば二次被害をもたらし、消防や救急の負担を増やします。
First Aid キットにターニケットを加えるべきか否か

First Aid キットにターニケットを追加すべきかどうかという議論は、しばしば感情論に流れがちですが、本来はリスクアセスメントに基づいて冷静に判断すべきテーマです。ターニケットは極めて強力な救命ツールである一方で、その運用は「適切な判断」を前提としており、一般的な First Aid の枠組みからは外れている点をまず理解しておく必要があります。
■ ターニケットを First Aid キットに入れるメリット
ターニケットを備える意義は明確で、致死的な出血に対して唯一即効性を持つ介入手段である点です。銃創や刃物による外傷、交通事故、産業災害といった重度外傷に際して、迅速な止血が可能となります。圧迫による止血が不十分なケースや、自分自身が負傷した場面でのセルフエイドにも利用できます。また、適切な判断のもとで運用される限り、医学的リスクは極めて低いとされています。
■ しかし、誰でも触れられる First Aid バッグには入れるべきではない理由
プロフェッショナルな視点で最も重要なのは、ターニケットが「道具としては簡単に見える」一方で、その使用可否を判断するプロセスは高度に専門的だという点です。一般用の家庭やオフィスの First Aid キットにターニケットを入れてしまうと、下記のような誤使用が高確率で発生します。
・軽傷にもかかわらず巻いてしまう
・十分な圧をかけられず出血が止まらない
・痛みを理由に途中で緩める
・関節部に巻いてしまう
・使用開始時刻を記録しない
これらはいずれも、判断基準を知らない状態で“使えてしまう”環境が引き起こす典型例です。
つまり
不十分な教育 × 誤った判断 = リスクの増大
となり、本人のみならず周囲にも悪影響を与えかねません。

また、「道具がそこにあるから使わなければならない」という心理が働くことも見逃せません。存在そのものが誤使用を誘発する点が、一般キットにターニケットを含めるべきではない最大の理由です。
■ 結論:一般の First Aid キットには入れるべきではありません
国際的にも、一般向け First Aid キットにターニケットの標準装備を推奨するガイドラインは存在しません。理由は明確で、一般利用者が適切な判断を行える前提が欠落しているためです。
ただし、セキュリティオフィスや訓練を受けたスタッフが常駐するエリアなど、「適切な判断ができる者のみがアクセスできる場所」に限り、ターニケットを配備することは妥当です。

なお、ターニケットが必ずしも専用品でなければ機能しないわけではなく、ベルトや布、ペンなどを用いた improvised tourniquet が有効に機能するケースも多く存在します。つまり、「判断ができる人」が現場にいれば、専用器具の有無に左右されることはありません。
■ プロフェッショナルの視点での核心
結局のところ、ターニケットが問題なのではなく、「判断ができない人が道具を使える状態にある」ことが最大のリスクなのです。ターニケットは、適切な判断を持つ者が適切な場面で使用してこそ、初めてその価値を発揮するツールです。
その原則を外れてしまえば、救命器材であるはずのものが、逆に危険を拡大する可能性さえあります。
First Aid レベルが前提としているシナリオは、そもそもターニケットの運用を想定していません。一般家庭や職場に備えられている First Aid キットがカバーするのは、あくまで軽度から中等度の外傷に対する応急的・一時的な処置であり、消毒や保護、出血のコントロールといった初歩的介入が中心です。致死的出血に対する本格的な止血処置は、設計思想の上でも対象外と言えます。
実際にターニケットが必要となる場面は非常に限定的で、本質的には高リスク環境に従事する職種に特有のニーズです。警備・警護、軍や警察、建設現場、高リスク工場、刃物や重機を扱う作業環境、イベントセキュリティ、さらにはシューティングレンジなど、重大な外傷が発生しうる“特殊な現場”に限られます。これらは、一般的なオフィスや家庭とはリスクプロファイルが根本的に異なります。
したがって、一般的な First Aid キットにターニケットを標準装備すべきとする強い理由は見当たりません。これは単に「必要がない」という話ではなく、ターニケットが本来「適切な判断と訓練を前提としたツール」であることが理由です。その判断基準を備えた人材がいない場所では、道具としての価値を発揮しないどころか、誤用によってリスクを増大させる可能性があります。
さらに重要なのは、ターニケットが必ずしも“専用器具”でなければ機能しないわけではないという点です。適切な知識と判断力を持っていれば、ベルトやスカーフ、ペンなどを利用して即席の止血帯を作成し、必要十分な圧迫を加えることは可能です。軍・警察・救急の現場でも improvised tourniquet(即席止血帯)の技術は広く知られており、「専用品の有無ではなく、状況判断ができるかどうか」が最も本質的な要素だとされています。
つまり、環境リスクが低い一般的な職場においては、ターニケットという“物”を追加することよりも、スタッフが出血のメカニズムと圧迫止血の原則を理解し、適切な判断ができるかどうかの方が、安全性向上においてはるかに重要です。限られた場面でしか使用しない器具を形式的に配備するよりも、知識と判断力を備えた人材を育てるほうが実務的な価値は高いと考えます。結論から言えば、データセンターという特殊な環境において、First Aid キットへターニケットを追加すべきだと助言したインストラクターの判断は、私の見解では適切とは言えません。なぜなら、ターニケットは「置いてあるだけで安全が高まる」種類の道具ではなく、正しい判断能力と訓練を前提としたツールであるためです。使える人がいなければ、むしろリスクを増やす可能性すらあります。
ただし、私はインストラクター個人を批判したいわけではありません。私たちフィジカルセキュリティに携わる者が、あらためて考えておくべき重要な論点がそこにあるからです。データセンターは、救急資器材を「とにかく増やせば良い」ような現場ではありません。環境、スタッフ構成、事故傾向、即応性などを総合的に見極め、その現場に本当に必要な装備と教育を慎重に選び取るべき場所です。
本稿で私が伝えたいのは、「ターニケットは危険だからキットに入れるべきではない」という単純な主張では決してありません。ターニケットは非常に強力な救命ツールであり、適切な場面で、適切な技能を持った者が使用したとき、圧倒的な効果を発揮します。逆に、判断基準が曖昧なまま使用した場合、本来は救命のための行為が重大な二次被害につながる可能性すらあります。
これは軍・警察・救急の現場で蓄積された膨大なデータが裏付けている事実であり、同時に、私たちが現場で何度も経験してきた真理でもあります。「適切な理解と判断が前提で初めて価値を生む」。この点を欠いたまま漫然と携行させることは、道具の価値を損なうどころか、時として危険な結果を招きます。
したがって、データセンターという環境で、十分な理解や訓練を受けていないスタッフにターニケットの携行を推奨することは適切ではありません。これはデータセンターに限らず、すべての現場に共通する原則です。ターニケットは適材適所で使われてこそ意味があり、必要な状況・必要な環境・必要な判断力を備えた人間がそろって初めて、安全性向上に寄与します。
私たちフィジカルセキュリティの専門家が目指すべきなのは、単に装備を増やすことではありません。現場のスタッフ全員が「判断できる状態」にあること、その状態を維持し育てていくことこそが、最も確実な安全対策です。ターニケットもまた、その原則の上に慎重に位置づけるべきツールのひとつなのです。
道具よりも、判断力を育てること。
私はその積み重ねこそが、どの現場においても最も確実に人命を守ると確信しています。データセンターの安全性を高める方法は数多くありますが、その根幹にあるのは常に「判断できる人材」です。ターニケットをどう扱うべきかという問いは、まさにその本質を映し出していると言えるのではないでしょうか。
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