Book Review 「二見龍レポート#8『身辺警護・警備のプロフェッショナル』プロテクションマンとの対談」

本書『二見龍レポート#身辺警護・警備のプロフェッショナル』は、二見龍氏のインタビューに対し、(株)S&T Outcomesで民間警護に従事するH氏が“警護のプロフェッショナル”として応答する形式で構成されている。しかし通読すると、その語りは体系化された実務知というよりも、断片的な経験と推測に依拠した説明が散見され、専門職としての定義が曖昧なまま提示されている印象は否めない。

まず前提として、本書で提示される「オープンセキュリティサークル」という概念について整理する必要がある。警護対象者を中心に据え、外側に向かって層を構築するという発想自体は、レイヤードセキュリティやゾーニング、すなわち多層防御(defense in depth)という国際的に確立された設計思想と整合しており、構造そのものに問題はない。物理セキュリティおよび警護の双方において、この外周→中間→コアという構造は普遍的である。

しかしながら、「オープンセキュリティサークル」という用語自体は国際標準の用語ではなく、特定の個人または組織におけるローカルな表現である可能性が高い。そして本書における問題の本質は、この構造ではなく、その“表現方法”、とりわけ色の定義とその運用にある。

国際的な警護・セキュリティ運用において、色は単なる視覚的補助ではなく、即時判断を支える共通言語として機能している。一般的な整理としては:

  • Red:危険、脅威、侵害対象
  • Amber / Yellow:警戒、制限
  • Green:安全、クリア
  • Blue:友軍/法執行
  • Black:未知または最悪ケース

といった意味体系が広く共有されている。これは軍、法執行、CPTED、さらにはグローバル企業のセキュリティプロトコルにおいてもほぼ共通であり、認知負荷を下げるための設計として機能している。

問題は、その色に紐づく行動原則がどのように設計されているかである。

国際的な運用においてRed zoneとは、単に危険な場所ではなく、「滞留を前提としない領域」である。すなわち、迅速通過(transit)、露出最小化(minimize exposure)、可能であれば回避(avoidance)という行動原則が前提となる。Redは“管理する場所”ではなく、“できる限り関与しない場所”として扱われる。

この前提に照らすと、本書におけるゾーニングは、リスクの可視化には寄与しているものの、そのリスクに対する具体的な行動設計にまで落とし込まれていない。Redが存在しても、「なぜそこに入るのか」「どの程度滞在するのか」「代替動線はあるのか」といったオペレーション設計が伴わなければ、それは図としてのセキュリティにとどまり、実効性を持たない。

ここで付け加えるべきは、そもそも警護においては色そのものに依存した表現よりも、機能およびリスクに基づいたゾーン定義が標準であるという点である。例えば:

  • Inner cordon / Middle cordon / Outer cordon
  • Secure zone / Sterile zone / Buffer zone
  • Hot / Warm / Cold zone(特にテロ・CBRNE対応)

といった表現が実務では一般的に用いられる。特にHot / Warm / Coldの区分は危険度に直結した行動原則と結びついており、Red / Greenのような曖昧な再定義による認識齟齬を回避する上で有効である。

したがって実務的には、色ベースの独自定義は排除、もしくは補助的な可視化手段にとどめるべきであり、ゾーンは機能およびリスクに基づいて命名されるべきである。また、多国籍環境での連携を前提とするのであれば、ブリーフィング段階で用語定義の統一を図ることは必須条件となる。

この点は、ISO 31000 や ISO 22301 といった国際規格が示す「リスクベース思考」や「事業継続性」の考え方とも整合する。これらの規格は色の定義を規定するものではないが、リスクの認識と対応を一貫したフレームワークで管理することを求めており、結果としてローカルな解釈による認識ズレを排除する方向に作用する。

特に、国際的な現場経験を有する視点から見れば、この種のローカル最適化された用語や表現は軽視できないリスク要因である。現場で最も問題となるのは装備や技術の差ではなく、「認識のズレ」であり、それは往々にしてこうした用語や定義の不統一から生じる。

この“概念と運用の乖離”は、本書の他の記述にも共通して見られる。

例えばトイレ対応に関する説明では、「民間警護では完全な安全が確保できないため内部まで同行する」とされているが、これは制約の説明に過ぎない。実務においては、多目的トイレのようにアクセスコントロール可能な個室環境を事前に把握し、動線に組み込むことで、セキュリティとプライバシーを両立させる設計が求められる。対象者の心理的負担を前提とした運用は、最適解とは言えない。

また、ドナルド・トランプ訪日時の警護に関する言及も見られるが、その多くは外形的観察に基づく推測にとどまっている。例えばサングラスの着用一つを取っても、単なる視線隠蔽だけでなく、異物投擲や液体からの防護といった複合的な機能があるが、そのような多層的理解には至っていない。

ドライバーに関する記述も同様である。車両を清潔に保つことが強調されているが、警護ドライバーに求められる中核能力は、回避運転、ルート設計、異常検知といったダイナミックなリスクマネジメントである。車両の美観維持は付随的要素であり、職能の中心ではない。

さらにレストランに関するアドバンス業務では、対象者の嗜好把握のために複数店舗を回るといった記述が見られるが、これは警護というよりコンシェルジュ業務に近い。アレルギー情報の把握やメニュー確認は合理的なリスク管理である一方、嗜好追求はサービス領域であり、警護の本質とは異なる。

これらを総合すると、本書におけるH氏の語りは、「Protection(警護)」と「Escort(エスコート)」の境界が曖昧である点に特徴がある。日本の民間警護において、顧客体験を重視するあまりツアーコーディネーション的要素が肥大化している現状は確かに存在するが、それは市場適応の結果であり、警護という専門職の定義そのものではない。

また、日本におけるリスク環境の特殊性も、この曖昧さを助長している。海外のように恒常的な高リスクエリアが明確に存在するわけではないため、Red zoneは地理的に固定されたものではなく、群衆密集、イベント、時間帯、災害といった条件に応じて動的に発生する。例えば 渋谷スクランブル交差点 のピーク時や、歌舞伎町 の夜間環境などは、状況によってはRed相当として評価され得る。

重要なのは、これらの環境において「危険である」と認識するだけでなく、「どう行動するか」を設計できているかである。日本におけるRedは“存在しない”のではなく、“動的に発生する”ものであり、それに対して通過、回避、露出最小化といった原則を適用できるかが問われる。

結論として、本書の問題は個別の知識の正誤ではない。色の定義、ゾーニング、職能分担といった各要素において、概念は提示されているものの、それが一貫したリスクベースのオペレーションとして統合されていない点にある。

警護とは、脅威の識別・評価・回避・遮断というリスクマネジメントの連続体であり、その目的は対象者の生命・身体・情報の保全にある。そこにサービス要素が付随すること自体は否定されないが、それを無自覚に混在させたまま「プロフェッショナル」として語ることは、現場における判断基準を曖昧にする。

警護において最も排除すべきは、装備の不足ではなく認識のズレである。本書は一定の示唆を含みつつも、その背後にある概念設計の曖昧さが、実務適用における最大のリスクとなり得る。ここにこそ、本書を読み解く上での本質的な論点が存在している。


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