1989年にソニーの会長だった盛田昭夫氏と後に東京都知事になる石原慎太郎氏による共同執筆の著書「『NO』と言える日本」が流行になりました。この著書で、盛田氏と石原氏は、日本はビジネスから国際問題までアメリカを筆頭に他国に依存しない態度、自身の権利や意見をどんどん主調すべきだと言っています。つまり、言いかえれば、当時の日本は他国の圧に屈し、何でもかんでも相手の言いなりになってしまっていたということです。もうこの著書が発売されてから32年が経ちますが、果たして日本(人)は盛田氏と石原氏が著書の中で提唱したように、自身の権利や意見をきちんと主張出来るようになったのでしょうか。
今の日本は、バブル景気の真っ只中でなんでもイケイケだった32年前の日本に比べ、すっかり躍進力を失ってしまいました。そんな経済が完全に停滞してしまっている日本では、当然ながら給料も欧米に比べてかなり低く、大卒1年目の年額基本給を比較してみても、アメリカが629万円、スイスにいたっては902万円なのに対して日本は262万円です。経済協力開発機構(OECD)によると、ピークだった2004年以降、日本人の海外留学者数の数は年々減少しているようです。これは現状維持、わざわざ外国まで行きたくないといった「若者の内向き」の傾向も影響しているようですが、給料の差も影響しています。
すっかり(経済的)勢いを失い、そして内向き傾向な若者たちが多くなった日本は、ますます自身の権利や意見を主張することが出来なくなってしまったように感じます。国内では、おそらく他より強い野望を持つ人が多いだろう外務省の職員ですら、圧が強い外国人相手には主張を通すことは難しいようで、途中で心が折れて諦めてしまうシーンをこれまで仕事で日本に帰ってくるたびに何度も目にしてきました。伊勢志摩G7サミット(2016)では、集合写真を撮る際、事前の打ち合わせでは警護官を含め随行者は少し離れた位置に待機場があり、そこで撮影が終わるまで待機することになっていました。しかし、当日は事前の取り決め事なんで知らない、聞いていませんといった感じで諸外国の警護官たち、そして随行者の中から事前に外務省が決めた待機場ではなく、撮影場の近くで待つ者が続出しました。伊勢志摩G7サミットの集合写真を見てもらえば分かりますが、屋外での撮影です。安全な日本とはいえ、海外の警護官からすれば自分の警護対象者が屋外にいるのであれば、できるだけ近くにいようと思うのはいたって当然のことです。待機場所の位置は、おそらく外務省が警視庁などの警備、警護の専門家の意見を取り入れずに決定したのだと思います。
国連と同じようにアウトリーチ会合に参加していたパプア・ニューギニアのピーター・オニール首相(当時)の警護官に対して外務省の若い方が、必死に待機場で待つように促していたのですが、全く聞いてもらえず、結局心が折れ説得を諦めるのを間近で見ていました。その後、その外務省の方は、アジア人で素直に言うことを聞いてくれそう(?)な私の元へとやってきて、パプア・ニューギニアの警護官の時と比べてかなり強めの口調で、待機場で待つように言ってきました。私の事を日本人だとは思っていないようで英語で話をしてきたので、こちらも英語で「パプア・ニューギニアの警護官をちゃんと待機場で待つように説得してから言いましょうよ」と言うと、罰が悪そうにそそくさと逃げていきました。その後も外務省の若い担当官たちが、海外の警護官や随行者に待機場で待つように促していましたが、軽くあしらわれて聞いてもらえていませんでした。結局、外務省側が折れ、警護官たちは外務省が決めた待機場所ではなく、自身が選んだ場所で待機出来るようになりました。
アメリカの警護業界では、よく「Book Smart vs. Street Smart」が話題に上がります。“ブックスマート”というのは、前述の外務省の若手のように、学校での成績は優秀で、有名大学出身ではあるものの、実践に乏しく、予定通り、決まり事通りに物事が進まなかった場合に臨機応変な対応が出来ない人達のことです。それに対して“ストリートスマート”は、学校で習ったことではなく、実体験の経験値から生き抜く術を知っている人たちのことです。アップルの創業者スティーブ・ジョブス氏、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏、Facebookの生みの親マーク・ザッカーバーグ氏は、皆もともと優秀で名門大学に入学していますが、全員途中で退学しています。彼等は、どちらかと言えば、ストリートスマートなタイプだと言っても良いと思います。予定通りに事が進まない時こそ、腕の見せ所である職業柄、優秀なボディガードにはストリートスマートであることが求められます。日本の4号警備従事者には、海外のボディガード養成スクールを卒業したことを売りにしている人もいますが、それではただのブックスマートなボディガードです。スクールで基礎を学ぶことは重要ですが、その学んだ基礎が現場で本当に使えるのか実証することがより重要です。スクールで学ぶ基礎を現場でそのまま使うことはほぼありません。環境や脅威によって臨機応変にスタイルを変えられる柔軟性や応用力は、現場でしか身につきません。
ポルトガル語の「マリーシア」は、サッカー王国ブラジル発祥の言葉で、ずる賢いという意味がある言葉のようですが、サッカーでは駆け引きが上手い選手に用いられる言葉のようです。マリーシアには、汚いプレーも含まれます。例えば、試合に勝つために先制点を決めた後はダラダラと時間稼ぎのプレーなどがそうです。他にも、1998年のフランスWCでイングランド代表のデービット・ベッカム氏が、アルゼンチン戦でディエゴ・シメオネ氏に後ろから倒されたことに腹立て報復をしたことにより、レッドカードを貰い退場になってしまいました。結果、人数が少なくなったイングランドはアルゼンチンに敗戦しました。サッカー選手だけでなく、一流のボディガードにも、ストリートスマート同様にマリーシアが求められます。
以前ミュンヘン安全保障会議に参加していた外務大臣の警護を務めるSPが、ドイツの警備員に言われる通りに外務大臣と離れ、会議場の外でその他大勢とおとなしく待っている姿を見かけたことがあります。その脇で、私や私の同僚は警護対象者にピッタリとくっつき警備が止める隙すら与えずに会議室の中に入り込みました。会議室の中には、我々と同じように会議室の中に上手く入り込んだ警護官たちが多数いました。他にも2019年に横浜で行われたアフリカ開発会議(TICAD)では、総理も出席する晩餐会で日本政府が総理のSP以外の警護官を会場から締め出しました。国連事務総長は、晩餐会後に予定があり、晩餐会終了後すぐに会場を発つ必要がありました。会が終わり、ドアが開くのを待って中に入るのでは、会に出席していた人たちが一気に出てきてしまい、事務総長を見つけて車列まで引っ張るのに時間がかかりすぎてしまいます。そこで私は日本人なのを良いことに、メディアに紛れて込み会場に忍びこみ、そしてメディアが退室した後もシレっと会場の中に残りました。そして会修了と同時にスッと国連事務総長の席まで行き、他のどの出席者よりも先に会場を出ることに成功しました。
ルールをしっかり守ることは人として大切なことです。しかし、警護官としてはどうでしょう。もちろん、行く先々で問題を起こすトルコのエルドアン大統領警護官のような振る舞いはアウトですが、揉めず、人を傷つけず、忍者のようにスルリと忍び込む技術こそボディガードのマリーシアです。海外でも活躍できるボディガードを目指す人は、ストリートスマートやマリーシアを身に着け、海外で「騙されやすい人種」というレッテルが貼られてしまっている日本人を脱皮しましょう。
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