2011年、著者は当時の国連事務総長・潘基文氏の警護チームの一員としてコロンビアのカルタヘナで先着警護を担当しました。カルタヘナの滞在終了後は、そのままチームに帯同し、コロンビアの首都ボゴタに移動、そしてそこから空路でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ移動する予定でした。しかし、不運にも隣国チリにあるプジェウエ火山が噴火、そこから飛ぶ火山灰の影響でブエノスアイレスの空港へ安全に着陸することは難しいと判断したパイロットが、ブエノスアイレスから700キロも離れたアルゼンチンのコルドバの空港に着陸することを決めました。当然、コルドバに行く予定はなかったので、先着警護どころか迎えは1人もいません。コルドバに到着したのは既にあたりが真っ暗で何も見えない夜でした。コルドバで1泊出来るのなら、それほど焦る必要はなかったのですが、潘基文氏は翌日にブエノスアイレスで大統領との会談の予定があったので、どうにか翌日の会談の時間までにブエノスアイレスに到着しなくてはなりませんでした。
到着後、まずは警護チームの武器(拳銃)をアルゼンチン国内に持ち込む書類(許可証)が必要になります。ブエノスアイレスの空港で到着を待っていた先着に連絡を入れ、すぐにコルドバの空港に必要な書類を転送してもらいました。そうした手続きをしていると同時に、コルドバからブエノスアイレスまでの移動手段を色々考えました。到着が夜遅くだった為、レンタカー店も全て閉まっていましたし、事前に何のチェックもせずに電車を利用するのも危険が伴います。色々悩んでいると、コルドバ空港の職員から、コルドバ市長がマイクロバスを所有しているという情報を得ることができました。そして、ブエノスアイレスの先着にすぐ連絡をし、政府の職員にコルドバ市長に連絡を取ってもらい、どうにかバスを調達することが出来ました。そして市長の計らいで運転手2名まで手配してもらうことが出来ました。通常であれば、事前に運転手のバックグラウンドチェックをしますが、こうした状況では、長旅で疲れ果てているうえに道も分からない警護チームの隊員が運転するのと、道をよく知る現地の運転手では比べるまでもなく、現地の運転手を信じ、運転を任せた方が安全です。
運転手2名に夜通し運転してもらい、翌日の朝には無事ブエノスアイレスに到着することが出来ました。ブエノスアイレスではホテルで2時間ほどの仮眠を取った後すぐに任務が開始となるかなりハードなスケジュールでしたが、何事もなく無事に任務を完了することが出来ました。ブエノスアイレスからは当初、飛行機で隣国ウルグアイの首都モンテビデオに移動する予定でしたが、火山灰の影響を見越しブエノスアイレス到着後すぐにフェリーを手配した為全く混乱もなくスムーズに移動することが出来ました。
このようにボディガードが直面するリスクには、人的な脅威以外に自然災害も含まれます。そのため、ボディガードは行く先々の災害リスクと傾向も事前に調べる必要があります。地震が多い日本では、地震、台風、津波等が起きた際の対応についてもしっかりとレポート書く必要がありますし、それをチーム全体に周知させておく必要があります。以前にも書きましたが、地震が全く起きない国や地域に住む人が地震を始めて経験すると、それが日本人だったら「あ、地震か」とサラッと流す震度1,2程度の地震でもパニックになり、どうして良いか分からなくなってしまう人が意外に多くいます。英語では、「Contingency Plan」と言うのですが、不測の事態が起きた際にいかに計画的に、そして効果的に対応できるかが警護人には問われます。
※当時の記事はこちら(英語)
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